園長のことば (2014.2月)
赤組や白組さんは、理事長のことを「じじ長せんせい」と呼んでいます。たぶん高齢でおじいさんなので、「じじ長」になったのでしょう。私は桃組さんに「おじいちゃん」と呼ばれることがあります。まだ「おじいちゃん」ではないのですが、頭は真っ白ですし子どもからみると「おじいさん」にみえるのだろうと思います。白組や赤組さんのなかに、たまに私のことを「おかあさん」とか「ママ」と呼んで、顔を赤らめて「まちがえた、園長先生だった」と言いなおす子どもがいます。
私のことを「おとうさん」と間違える子はいないと思っていたら、つい先日、私のことを「おとうさん」と呼んで「あー間違えた、おかあさんだった」と言った子がいたので可笑しかったです。
まだ、「おばあちゃん」と呼ばれたことはありません。そのうち間違えられるかもしれませんが。
園長のことば (2014.5月)
毎年のことですが3月から7月上旬までは、ひたすら書類作りに追われる毎日です。もう少し簡略化できないものかと思うのですが、書類枚数が増えることはあっても減ることはありません。たとえば現在〇〇が産休で休んでいますが、産休代替職員に関する書類だけでも�事前調査書にはじまり、�産休代替職員任用承認申請書⇒�産休代替職員任用期間等変更承認申請書⇒�産休代替職員費補助金交付申請書・補助金交付申請理由書・事業計画書・産休等代替職員費補助金収支計算書⇒�産休代替職員費補助金事業実績報告書・産休代替職員費補助金事業実績報告書内訳書・産休等代替職員費補助金収支決算書といった具合で、それぞれの書類にさらに添付資料が必要とされます。私の感覚では、出産したということは妊娠していたということだと思うのですが、「出産証明書」では、妊娠していたかどうかわからないということで「妊娠証明書」も必要だったりします。愚痴をこぼしても仕方ないのですが、書類作りにかかるコピー用紙やコピー機の料金を思うと、すこし簡略化してもらうだけで、園児を美術館へ連れていったり絵本や教材を購入できる費用を捻出可能なのにと思います。
園長のことば (2014.7月)
鞄を持って出かけようとすると、数人の園児がかならず、「どこへいくの?今日は園長先生、お仕事?」と聞いてきます。今日だけじゃなくて毎日お仕事なんだけどと思いながら「行ってきます」と答えると、「園長先生、お仕事がんばってね、いってらっしゃい」と声を掛けてくれます。用事を済ませ帰ってくると「園長先生 おかえりなさい、今日のお仕事は終わった?」と尋ねてきます。鞄を持っていない時は何も聞いてこないので、子どもとって鞄=仕事を意味するのだと思っています。
毎年恒例の質問のひとつに、「園長先生はどこで寝ているのか?」というのがあります。不思議に思うのでしょうね。それで思い出す事があります。「どこで寝ているの?」という質問に、いつもなら「さて、どこで寝てると思う?」と答えていたのですが、その時だけは、「上に見えるお寺だよ」と答えました。するとその子が驚愕したような表情を浮かべてしばらく沈黙したあと、「園長先生は、仏さまだったのか?知らなかった」とつぶやきました。わたしも驚きましたが、その子にしてみれば、お寺は仏さまがいるところ。そのお寺に園長先生がいるということは、園長先生は仏さまに違いない!と推理したのでしょう。その子も小学校4年生、元気で通っていることと思います。
園長のことば (2014.8月)
西側の園庭や畑の周りを二週間に一度は草刈しなければいけません。私の頭髪は年々勢いがなくなってきているのに、雑草は毎年元気よく生えてくるものだと感心します。
17日のこと。西の園庭を草刈していましたら、いきなり左手薬指に何かが刺さったような痛みを感じました。見ると左手薬指へおおきなハチが・・。ポイズンリムーバーを取りに事務室へ駆け込み、刺されたところを吸引しました。ハチはアナフィラキシーショックを起こすことがあります。一瞬死ぬかもと思いました。30分以内に病院へ行かなくてはと思うのですが、うろたえてしまいスムーズに動けません。まわりからみるとさぞ滑稽だったろうと思います。砂場で遊んでいた黄組さんが、慌てた私の姿をみて不思議に思ったのでしょう。「園長先生どうしたの?」と聞いてきました。「ハチに刺されたから病院へ行ってくる」と答えると、「注射するの?予防接種? 早く帰ってきて、一緒に遊ぼうね」と・・・。
病院へ駆け込み、ハチに刺されたことを告げ、患部を見せました。病院の先生がポイズンリムーバーを見られて「これって何ですか?」と質問されたので、もしかして役に立たないのかと驚きました。左手がパンパンに腫れるだろうと思っていたのですが、注射が効いたのか薬が効いたのか、ポイズンリムーバーが効いたのかわかりませんが、幸いにも腫れませんでした。
もしあの大きなハチに刺されたのが、園児だったらと思うとぞっとします。どこに危険が潜んでいるかわかりません。園児の安全対策には終わりがないことを実感いたしました。
園長のことば (2014.10月)
今年度、卒園児のおじいさんが世話をしてくださったこともあり、園庭のブドウがたくさんの実をつけました。ジャム作りをすればたのしいと思っていたので、その相談を先生たちにしようと思っていたのですが、時すでに遅く収穫され子どもたちの胃袋に収まっていました。
昨年、西の園庭へ学童さんと植えたイチジクの苗木に、まだ木とはいえないような大きさですが、たくさんの実がなりつつあります。先日、一つだけ熟した実があるのを年長組さんが発見し、「園長先生 これができていたよ」と私のところへ持ってきてくれました。たった一つのイチジクをどうしたものかなと思い、そのまま年長担任に渡しました。次の日、あのイチジクをどうしたの?と担任に尋ねたところ、子どもたちで話し合いをし、イチジクを薄く薄く切って、均等に分けて食べたと言うではありませんか。さぞかし薄く切るのは大変だったでしょう。年長組さんの何人かに聞いてみたのですが、満足そうな表情で美味しかったといっておりました。“いちじくの薄造り”って新しい食べ方としてどこかのレストランさんのメニューに載りそうです。
よく食べられるのかと尋ねられるのですが、園庭の芝生に置いてあるジャイアントカボチャはすっかり遊具になっていますが、FRPの遊具ではなく本物です。生田先生のおとうさんが趣味で育てられたものです。食べられるけれどもおいしくないそうです。
園長のことば (2014.11月)
先日、カホンとジャンベいう打楽器を購入しました。カホンはペルー起源の楽器で、四角い箱の一部に丸い穴が開いています。叩く位置によっていろいろな音がするシンプルだけれども楽しい楽器です。演奏方法も楽器の上に座って手や足を使っていろいろな音を出します。
ジャンベは西アフリカ起源の太鼓です。その二つの楽器をそれぞれ部屋へ置いてみました。ジャンベの方は一目で太鼓とわかりますから、ジャンベに気づいた子どもはポンポンと叩いていました。
カホンの方は、一見しただけでは楽器には見えません。先生の座る椅子だとでも思ったのかあまり関心をしめす様子もなく放置されたままでした。このまま気づかれないままになるのかなと思っていたのですが、小学校から帰ってきた学童さんの一人が、カホンを見つけ、じっと見ておりましたが、「おみくじじゃ、おみくじ箱がある。」といいだし、せっせとおみくじをつくり、それをカホンの穴の中にいれて掻き回しながら、「園長先生、アメがあったらいいよ、この中にいっぱいいれておいて、宿題が終わった人からアメを食べられるようにしたらいい、それで当りの人はもうひとつ食べられるようにしようよ。」と言うではありませんか。私が「おもしろいアイデアだ、でもアリさんがいっぱいやってくるかもしれないね」と言うと、「フタをしておけばいいよ、そうそうフタをつくらなきゃ」と紙を丸く切り抜き、テープを使って穴をふさいでおりました。
数日後、カホンの穴のなかには、積み木、レゴ、ままごと用のナイフやフォーク、ハンディサイズの植物図鑑まで入っていました。植物図鑑はよくこの穴のなかに入れたものだと感心しましたが、取り出すのに一苦労でした。
折に触れてものを大切に丁寧に扱うということを話していたため、叩いてはいけないと思ったのでしょうか、私が教えるまで、カホンを叩くということをだれもしませんでした。
園長のことば (2014.12月)
気がつけば師走、年々月日が過ぎるのが早くなるように感じます。来シーズンのための薪作りも始めなくてはなりません。あれもしたい、これもしたいと思うのですが、バタバタと時間に追われるばかりでなかなか思うようにはなりません。先日の参観日は、30分以内で話しをするつもりだったのですが、つい話が脱線し予定を20分もオーバーしてしまいました。保護者のみなさまには下手くそな話をご静聴ありがとうございました。
さて、このところウェアラブルカメラを年長組さんに順番につけてもらっているのですが、これが実に興味深いのです。子どもの目線はこんな風に動くのか!こんなことをコソコソ話しているのか!こんなものに興味を持つのか!などなど。そのうち「ウェアラブルカメラを使った幼児の行動理解」といった論文が幼児教育研究者から出てくるに違いないと思っています。ただ撮影したもの全てを見るとなると時間が足りないのと、男の子につけてもらった場合、動きが激しいので、じっと見ていると酔って吐きそうになってしまいます。次は年中組さんに試してみるつもりです。年齢差でどのように視界の動きが違うのか、形は同じで色違いのものであれば何色に目がいくのか?などなど興味は尽きません。先生たちにつけてもらっても勉強になることが多いだろうと思っているのですが、先生たちは嫌がって承諾してくれません・・・。
園長のことば (2015.1月)
お正月というと、お年玉をもらうのを楽しみにしていた記憶があるのですが、そのお年玉をどうしたかについてはさっぱり記憶がありません。保護者のみなさまは覚えていらっしゃいますか?
保育用品を扱われる業者さんが、「最近さっぱり注文がなくなった、昔はこの時期にはよく売れていたのですがねえ」、と言われるものがあります。何だと思われますか?
答え・・かるたです。かるたが売れなくなったと聞いて、ゲームにとって代わられたのだなあと感じました。テレビゲームは一人でできますが、かるたは一人ではできません。かるたには家族団欒というイメージがありますが、テレビゲームは孤独という印象を持ちます。家族関係の希薄化という、いまの時代を象徴しているように感じました。私の家庭でも、私は夕食後パソコンの前に座り、子どもはテレビかテレビゲームをしています。もっと子どもと共に過ごす時間を大切にしないといけないと反省した次第です。保護者のみなさまのお宅ではどうでしょうか?
心が健全に育っている青少年には共通点がある。それは、幼少期に家族や友達、近隣の人たちとの楽しい思い出をたくさんもっていることですと、ある先生から聞いたことを思い出しました。どうかお子さんと楽しいお正月を過ごして下さいませ。
園長のことば (2015.2月)
先日、広大付属幼稚園の公開保育を東広島へ見学に行ってきました。広島大学付属幼稚園は平成18年度より「森の幼稚園」というコンセプトで保育を展開されています。園舎の裏山全体を使った自然のなかで行われる保育でした。寒い日だったのですが、あっという間の2時間半でした。なぜ、あっという間に感じられたのかを考えてみますと、担任の指示で「させられて、している」のではなく、「したいから、している」ということにつきるように思います。子どもたち自身が「したいから、している」ので、子どもが退屈していない。精一杯頭を働かせながら、試行錯誤しながら取り組んでいる。だからこそ、子ども一人一人の思いが窺い知れるようでその姿が実に微笑ましく楽しく感じられたのだと思います。もしもこれが一糸乱れぬ行儀のよい保育や出来栄えを誇る保育であれば、驚きはしても、楽しくは感じられなかったでしょう。
3歳さんは午前の最後に、「かくれんぼ」をしていました。担任の先生が鬼です。きっと生まれが遅いのだろうなと思える園児も山のなかのどこへ隠れようかと一生懸命考えているのが手に取るようにわかります。あっちをのぞいて少し隠れて、やっぱり駄目だとおもうのか、次の隠れる場所を探してうろうろしています。その姿を見ていて童心園の場合、安全を最優先して死角がないように園舎も園庭も作られていますが、そのために「かくれんぼ」ができないのだということ、「かくれんぼ」は、3歳さんにとっては、頭も体も使うよい遊びなのだと気づかされました。
園庭にいくら立派な遊具を並べても、自然の多様性・豊かさにはかなわないですね。「森の幼稚園」という構想は、平成18年頃に北欧の幼児教育を参考にして私も頭の中で温めていたのですが今まで実行するには至りませんでした。できない・しない理由ばかりを考えていたのだなと反省しています。
さっそく学童さんと裏山を少しずつ掃除することにしました。学童さんは秘密基地を作るのだと張り切っています。でも全く秘密になっていないのですね。秘密基地と聞いてワクワクしないはずがありません。聞きつけた年長組さんの数名が自分たちも秘密基地へ行きたいと訴えにきました。まだ秘密基地はないのですが・・・できればよいですね。
園長のことば (2015.3月)
今年度の年長組さんは、童心園保育所として送り出す最後の卒園児になります。童心園保育所も認可保育所としては、最後の月になります。戦後、寺の境内で個人立認可保育所としてはじまり、昭和50年に社会福祉法人立認可保育所へ移行しました。認可保育所として60年を超える歴史を持つわけですが、この3月末をもって「保育所」の名称は消え、4月1日より「認定こども園」としてスタートをきることになります。
保育制度や名称は変わりますが、「謙虚さ」「素直さ」「感謝の心」を忘れずに保育を学び続け、よりよい保育ができるように努力していきたいと思っています。
平成大学の望月先生から指導を受けるようになり、2年が経ちました。望月先生からの紹介であちこちの幼稚園・保育園の研修会にも参加させていただきました。最初の頃は、なぜこの園が参考になるのかあまりピンとこないこともあったりしたのですが、保育の良し悪しを見る目がなかったのだということを感じさせられています。
美術館へ一度足を運んだからといって、絵の目利きになれるわけではありません。絵画や陶芸も、多くの作品を繰り返し観賞することにより作品の良し悪しを見る目が養われます。それと同じで、よき指導者に出会い、いろいろな園の保育実践を数多く参観、講評を聞くことによって見る目が育つのだということを痛切に感じています。
保育エピソードを記述するという指導も、「保育のためのエピソード記述入門」鯨岡峻/鯨岡和子著を取り寄せ読んでみたものの、なかなか読みづらい文章で、保育エピソード記述とはどういうものなのかについては、頭では理解できても、それが保育の質の向上に結びつくのかもやもやしたものが残ったような状況でした。
先日望月先生より紹介いただいた本、室田一樹著「保育の場に子どもが自分を開くとき-保育者が綴る14編のエピソード記述」を読んでいます。帯の部分に「いま私が考える最も良質な保育がここに展開されている」京都大学名誉教授鯨岡峻推薦と書かれています。大層な推薦文だと思ったのですが、本を読み進めるうちに、いままで見落としていたかもしれないものが見えてくるような気がしています。保育にとってもっとも大切なもの。保育士にとってもっとも大切な事が見えてきます。エピソード記述がなぜ有効なのかよく分かるようになりました。
次回の園内研修会までに、この本の「はじめに」と「序章」を読んでその感想を書くという宿題が先生たちは与えられています。どのような感想を書いてくるのでしょうか、たのしみでもあり心配でもあります。
さて、先月から取り掛かり始めた「山の保育」ですが、裏山を子どもたちと海が見渡せる鉄塔の部分まで掃除し、学童さんとテントを張り、海を眺めながらお昼のお弁当を食べました。崖にはロープをたらし崖登りできるようにし、木の枝へロープをつるし高さの違うブランコを3つつくりました。3歳さんには無理だろうと思っていたのですが、何事にも慎重な印象のある子がジャイアントブランコと名付けたブランコへのっているのにはびっくりしました。
このところ毎日のように、「園長先生 今日山へ行こうよと、」と数人の園児が誘いに事務室へやってきます。